こんにちは、認知症ZEROです。
「もうこの人は、私たちのことが分からなくなってしまった」
――ご家族が認知症になったとき、そんな風に感じたことはありませんか?
今回は、船木先生に「認知症とは何か」という、とても基本的でありながら奥の深いテーマを伺いました。
結論からお伝えすると、記憶が見えなくなっているからといって、それが完全に消えてしまったとは言い切れないというお話です。
※本記事の内容は、船木先生の長年の臨床経験に基づく見解です。
1認知症は一言で片付けられる病気ではない


船木先生
「認知症の実際の方、ちょっと調べたら分かりますけれども、一番数が多いと言われるアルツハイマー型の認知症だとか、脳の動脈硬化が進んで起きる認知症だとか、そもそも認知症も一括りにはできない、いろんなパターンがある」

木曽さん
「なんとなくざっくりと、加齢に伴って脳の機能が低下して、それに伴って認知症になってしまうものという認識を持っていたんですけど、実は色々な原因を紐解くと、そんな廊下の一言では片付けられないってことですか?」

船木先生
「片付けられないですね」
認知機能の障害を受けるという意味では一括りになっていますが、原因についてはまだはっきり分かっていないものも多く、4つ5つの分類があります。老化という言葉ひとつを取っても、実はよく分かっていない部分が多いのです。
何千人という患者さんを診てきて、家族の困り事を見て、生活空間を見て、教科書や新しい論文を読む。それを続ければ続けるほど、分かることが増えるのではなく、むしろ分からなくなることが増えていきました。
2「自分とは何か」を考えないと、認知症は理解できない

症状として見えているものだけで話し合うことはできますが、見れば見るほど、かえって感じるのは見えないところにある問題です。
そもそもその人が自分であるとはどういうことか、自分とは何なのか。
そもそも「認知する」というのは誰が何をしていることなのか。
これをどんどん突き詰めていくと、結局は哲学やスピリチュアルな領域に触れざるを得なくなります。
大学時代に哲学を学び、教授の部屋に何度も通っていろいろなことを教えてもらいましたが、その先生はどんな問いに対しても「それは分からない」としか答えてくれませんでした。
分からないものは分からない、というのが学んだことです。
本当は認知症って理解できないはずなんですよ。そんなにも根が深いものです。
それでも私たちは、去年とは違う、5年前とは違う、昨日のことも覚えていない、知らない人にお金を渡してしまう――そういう姿を見て、「人間が崩れていく、壊れてしまったんじゃないか」と感じてしまいます。
しかし、その「人間」とは何なのか、そこが問われているのです。
3自分をつくっているのは「記憶」と「関係性」


木曽さん
「え、それね……あの、自分とは何かっていうことを扱う時に、そんな話になると思ってなかったからな」

船木先生
「昨日も一昨日も去年も今も連続してる自分がいる。連続性とか継続性ってことです」
昨日と今日で自分が入れ替わっていたら、もはや自分ではなくなってしまいます。
積み上げてきたものが今の自分を形成している、これが自分というものの1つの客観的な条件です。昨日と今日が連続している、すなわちその記憶があるということです。
生まれてから今日までに積み上げてきた経験や考え、感想はすべて記憶であり、それが局所的ではなく一本の道になって、全部自分の中に連続して残っている。これも1つの条件です。
もう1つ、人間は自分1人だけで存在しているわけではありません。誰々さんの子供、誰々君のお父さん、何々という会社の職員――そうした関係性の中に自分は存在しています。
マトリクスのように絡み合った関係性が個人をつくり、それが連続してどこにも分断されることなく確かにある。
これもまた記憶です。
重なり合って積み上げてきた記憶、そして周りの人たちが自分に対して持つ感想、それもまた記憶。記憶と記憶が絡み合っているのです。
4家族の顔が分からなくても、その人が消えたわけではない

何千人という患者さんを診てきて思うのは、その人の内側にある「自分」が失われているかどうかは、外から見ることができないということです。まずこれを知ってほしいのです。

船木先生
「自分の娘息子が分からなくなった、ずっと何十年連れ添ってきたその奥さんのことが分からなくて、どなたでしたっけみたいな、本当にそういう場面って私も何時間も見てきたんですよ」

木曽さん
「その症状が出られる方の多くはってことですか?」

船木先生
「自分の子供、あの孫に意外と孫のことは分かることが多いんですけども、自分の奥さんを見てもどこかでお会いしましたかっていうような」
完全にそこまでの記憶が分断されて消えているように見えても、それは記憶自体がなくなっているのか、それとも一時的に読み出せなくなっているだけなのか。
たとえるなら、USBメモリーに記憶が入っていても、接続不良でたまたま読めないことがあるようなものかもしれません。私たちは外から患者さんを見ている限り、その違いを判断することはできません。
ご家族やご友人の顔が分からなくなったということは、その人が人ではなくなったということでは決してありません。この点は最初にどうしても伝えておきたいことです。
💡まとめ
- 認知症は原因も症状も一括りにできず、分類も複数存在する
- 自分という存在は「記憶の連続性」と「人との関係性」によって成り立っている
- 記憶が見えなくなっていても、それが完全に消えたと断定はできない
- 家族の顔が分からなくなっても、その人が人でなくなったわけではない
- 患者さんの内側で何が起きているかは、外から見ているだけでは分からない
本記事の内容はこちらのYouTube動画でお話ししています。
船木先生が「自分とは何か」という哲学的な問いから、認知症の本質に迫っていく回です。ぜひご覧ください。
※本チャンネルの内容は、医療・健康に関する情報提供を目的としたものであり、特定の診断・治療・予防効果を保証するものではありません。気になる症状がある場合や治療中の方は、必ず医師など専門家へご相談ください。